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月下の一隅[若月まり子の資料室]
[第20夜]
ブレードランナー
Blade Runner
映画 116分 1982年
監督:リドリー・スコット
ワーナー・ブラザース映画配給

 しとしととそぼ降る雨、灰色に破壊された無国籍都市の煙る空気の中にまたたくイルミネーション……
 たいした目的もなく束の間の快楽を求めてあわただしくうごめいているような人間の群れの中、抹殺の追手を逃れて必死に生きようとする5人のレプリカント(アンドロイド)たちの命の時間が黄金のように輝きます。
 レプリカントとは偽物の人間という意味の呼び名……
 人間が人間のために、人間そっくりにつくった生命体……それは非常に進化した未来の人形の一種なのでしょうか。
 自然に生まれたわけではなく、突然この世に人の手によって存在させられた彼らには過去の記憶もなく、未来の時間さえ安全装置によって決定された4年間しかなく、自由に生きる権利さえもないのです。しかも非常に優れた知能を与えられているがために、なおさら自分の絶望的な境遇におののき、なんとか人間と同じようになりたいと願うのです。
 でもレプリカントがそんな人間らしい感情を持つことこそが人間にとっては脅威なのです。彼らは人間の道具でしかないのですから。
 レプリカントたちは古い写真を集めます。自分の過去を見つけるために……いえ、作り出してでも自分のものにするために……自分は母から生まれ、今に至るまでの長い成長の歴史を持っているのだと信じたくて……。
 かすかな希望と覆い被さる絶望の狭間で凶暴と憂いと優しさとが混沌と入り交じり、レプリカントたちの瞳は狂おしく燃えあがります。一刻たりとも気を抜けば命を奪われる追いつめられた状況の中、安易に時を過ごす人間たちとは対照的に、彼らは急速に人間を超えていくかのような感性の持ち主へと進化していくのです。
 追手のブレードランナー、デッカードはそんな彼らの進化に気づき、次第に心の中に疑問をつのらせていきます。
 自分たち人間と彼らレプリカントとの本質的な違いは何なのだろう。人間は彼らに勝るといえるのだろうか。
 美しく情感豊かなレプリカントのレイチェルはデッカードを救うために同じレプリカントのひとりを銃で撃ってしまいます。彼女は情でそれを行った、でも自分は仕事だから彼らを狙っている……と思い当たった時、デッカードの心は混乱します。本当に人間らしいのはどちらだろう……と。
 この時のデッカードの部屋でのシーンは何度観ても感動的です。
 あきらめの果てに静かにピアノに向かって短い練習曲を弾いた後、ピアノの上に並ぶセピア色の写真にレイチェルは見入ります。
 ずいぶん昔の、19世紀ころの雰囲気をもつ女性の写真……レイチェルは、それを真似て髪をときほぐし、まるでその写真から抜け出たようにやさしくたおやかな女性に変身していきます。
 まるでヴィーナスに命を与えられた伝説のガラテアのように硬質な感じを失って、柔らかくあたたかい人間の女性になっていくのです。
「私はだれ……?」という切ないレイチェルの問いにデッカードは愛することだけで応えるのです。
 愛するとは相手を認めること、存在させること、生かすことに他ならないからではないでしょうか。
 もうひとりの印象的な戦闘型レプリカント、ロイは怒りに燃えてデッカードとの戦いを繰り広げますが、怒りのすべてをぶつけ終わり、自分に最期の時が訪れたのを知った時、デッカードに手を差し伸べて命を救うのです。
 ロイが最期に残すあまりに人間的で叙情的な言葉が心にしみます。
 自分の思い出が消えていく……。
「……涙のように……この雨のように……」
 雨に打たれ彫像のように動かなくなったロイの腕に抱えた白い鳩が空に飛び立っていく情景は、彼の到達した心の高みを象徴しているかのような忘れられないシーンです。
 デッカードはこうしたロイを目の当たりにしたことでレイチェルがいかに大切なものかを再認識するのです。
 映画の中でただひとり美しい心を持つ人間として描かれているのが、廃屋となったビルの片隅に住む落ちこぼれのJ・F・セバスチャンです。
 ひとりぼっちのセバスチャンは自分の友達として数多くの自動人形を作って一緒に暮らしていますが、この人形たちの不思議な可愛らしさも見どころです。
 彼の作る人形はぎりぎりほんとうの人形で、レプリカントとは対照的です。そのせいかここでははじめて未来の人形に出会ったようなこころ和む楽しさがあります。ぎりぎりというのはかなり人間に近寄った部分もあるということですが、映画の演出としてはとてもファンタスティックでステキです。
 この映画を観ていると人間らしさというものをつくづく考えさせられます。
 追っている人間たちと追われているレプリカントたちのどちらが人間らしさを持っているいるのか、だんだんわからなくなっていくのです。
 原作者フィリップ・K・ディックはきっと実際にはさまざまな問題を抱えるアンドロイドというものと人間の区別などどうでもよく、ただ人間らしさとは何かを私たちに問いたかったのではないでしょうか。
 ディックはこんなことを言っています。
「……あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようとそんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が私にとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも永久に変わらない」
 人形は人の形をしたもの……制作途中でついつい人形とは何だろう、その元である人間とは何だろうという疑問を抱いてしまいます。私にとっては難しすぎる問題ですが、日々人形を作っているかぎり繰り返しそんなことに想いを馳せてしまうのかもしれないと思っています。

[若月まり子 2007/06/07]

(注)リドリー・スコット監督作品の映画「ブレードランナー」は1982年に製作公開されました。原作はフィリップ・K・ディック著「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(浅倉久志訳・ハヤカワ文庫・1977刊)ですが、内容はかなり異なります。この「ブレードランナー」はインターネットで数多くの情報を得ることができます。また、現在、最終版(ディレクターズカット)のDVDが発売されています。

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