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真夏の夜の夢
ウィリアム・シェイクスピア 作
アーサー・ラッカム 絵
伊東杏里 訳
新書館刊 B5判
「妖精さん、どこへ行くの?」
「丘を越え、谷を越え、
繁みをくぐり、茨をくぐり……
私は行くわ、どこまでも。
月の歩みより、まだ早く……
これから露を探しにいくのよ。
……
九輪桜の耳たぶに
ひとつ残らず真珠の玉を
かけてあげなくちゃならないの」
人間たちの絡み合った恋愛劇が始まろうとするとたんヒュンと可愛らしい妖精が現れて消えていきます。
そしてもう私たちはこの物語の舞台ギリシア郊外のアセンズの森の中に迷い込んでいくのです。夏の夜の夢の世界に……。
私たちは、いろいろな登場人物がこの不思議な森の中に入っていって妖精たちの世界のできごとに巻き込まれてさんざんな目に遭わされた末、最後にはめだくそれぞれの幸福を手に入れて妖精たちの祝福を受けるという成り行きいっしょに驚いたりとまどったり笑ったりしながら楽しんでいくことになるのです。
森の中に入っていくのはまず二組の男女。
彼らはそれぞれに自分のほんとうに恋する相手をまだ見極められず、こんがらかったままですが、それでもそれぞれにみな恋に身をやつしています。
そしてがやがやとしたもう一組は押し迫ったアテネ大公の結婚式での素人芝居の稽古をしに来る何人かの町の男たち。
この素人芝居の内容がとても興味深いことにオイディウスの変身物語の中のピラモスとシスビの悲恋物語なのです。
内容はロミオとジュリエットにとてもよく似ていてシェイクスピアはきっとこれをモデルにしたんだなと思い当たります。
人の心を打つ物語の原形というものがとても印象の強いものであれば何百年何千年と受け継がれていくものなのだとしみじみ思います。
さてアセンズの森の妖精の国側ではというと妖精王オベロンと女王ティターニアは夫婦でありながらインドからさらってきた可愛い赤ちゃんの取り合いをして大げんかを繰り広げていたのです。
そう……妖精は人間の可愛い赤ちゃんをさらう習性があるのです。
物語の中で私がとても絵画的におもしろいと思うのはこの二人、妖精王オベロンと女王ティターニアのいさかいのシーンです。
二人にはそれぞれたくさんのお付きの妖精たちが群がっているのですが「森で会おうと、緑の野原で会おうと、清らかな泉のそばだろうと、きらめく星月夜の下だろうと、ところかまわず大騒ぎになってしまい」そのたびに小さなたくさんの妖精たちが怖がっていっせいにこそこそとどんぐりの殻の中などに身をひそめ、息をこらして辺りをうかがっている姿がとっても可愛らしいのです。
そしてこの夜もまたしても大げんかをしたあげくに、憤懣やるかたないオベロンはなにがなんでも妻をこらしめてやろうと、お供のパックに恋の三色すみれ(ラブ・イン・アイドルネス)を採ってこさせてティターニアのまぶたにその花の汁をおとしてしまいます。
恋の三色すみれとは「眠っている者のまぶたに塗ると誰であれ恋の虜になって、目覚めてはじめて見た相手にすっかり惚れ込んでしまう」魔力をもった花なのです。
このいたずらもののパックは物語のあちこちをすばやく飛び交ってはいたずらをしてまわる大スターですが、この夜もオベロンの言いつけ以外にも勝手に町の男の一人、ボトムの頭をロバの頭に変えてしまいます。
そして麝香ばらの花のしとねに眠る美しい女王ティターニアの最大のピンチ、たくさんの画家たちが描いた、目覚めたティターニアがロバの頭になったむさくるしい男ボトムに恋してしまうくだりとなってしまいます。
ティターニアはボトムのロバの頭をやさしく抱いて言います。
「こうして私、抱いてあげるわ。このようにして昼顔はスイカズラにやさしくからみつくのね……」
シェイクスピアの時代、芝居を見に来た人々はきっとお腹をかかえて笑いころげたに違いありません。
ローズ座やグローブ座などの芝居小屋からどっとあがる笑い声が聞こえるようです。
パックは、またオベロン王の命に従って、人間の恋人たちをほんとうの相手に結びつけるよう三色すみれの汁をかけてまわりますが、なんと間違えた相手にかけてしまい、よけい面倒なことになってしまいます。
それぞれがまた違った相手を追いかけまわすことになり、その真剣な様子がまた観客のどっという笑いをそそることになるのです。
でも最後にはオベロン王は呪いを解く草の汁を皆にかけて目覚めさせます。
目覚めた時四人の恋人たちはそれぞれほんとうの愛する人を見つけることができたのです。
そしてオベロン王は、ちょっとずるいと思うのですがティターニアから可愛い赤ちゃんを手に入れるとごきげんで妻の呪いも解いてやり、なぜかティターニアも文句ひとつ言わず仲直り。
「おお、あれにさえずるのは朝の雲雀。
妃よ、
夜の影を追って静かに静かに駆け行こう。
眠れる地球を下に見て、 月より早く駆け行こう」
と妖精たちの大群を引き連れて自分たちの支配する国である夜の後を追いかけていくのです。
この最後の仲直りのシーンを大きなジオラマ(「夏の夜の夢」)として制作したことがあります。
この時は小さな妖精たちを作るのに夢中になって、半年間は私も妖精の国に入り浸っていました。
オベロンとティターニアは妖精たちの中心で二人とも対等に片方の手に気高く錫を持ち、もう片方の手で抱き合おうとしています。
夜露をキラキラと煌めかせながら、この妖精の森は大きな回転オルゴールとなって下諏訪の諏訪湖オルゴール博物館・奏鳴館で静かに動いています。
真夜中になると、今でもきっと妖精たちはいっせいに灯をともして舞い踊りながら恋人たちを浄め、祝福を与えます。
「眠れ、眠れ、恋人たちよ。
眠れ、眠れ夏の夜の夢よ……」
シェイクスピアのこの韻を踏んだ美しい語り口が古めかしいとは思いますが私はとても好きです。15・6世紀頃の一般の人々このような優美な言葉の数々にうっとりしていたのだと思うと、やはり周囲の環境が自然に囲まれ、今のように物があふれて気分が散漫になっていなかったために言葉に対する欲求や集中力が高かったのかもしれませんね。
きっと諸国を巡り歩く吟遊詩人たちもこのような口調で人々にバラッドを聴かせていたのでしょうから、こんな雰囲気があたりまえだったのかもしれません。
この本は夏の夜の夢をアーサー・ラッカムの見事な挿絵で埋め尽くしたとても楽しい絵本となっています。
草むらを飛び過ぎる妖精、女王ティターニアの周りに群れ集う小さな妖精たち、いたずら者のパック、オベロンとティターニアのいさかいのシーンでは雲や風まで沸き上がり、人間の男女はとても人間らしく、妖精たちはそれとは別世界の生きものとしてほんとうに活き活き描かれています。
現実と非現実、美しいものと不気味なものの描きわけが明確にできているのにもひたすら感心してしまいます。
文章だけではなかなか想像することが難しい映像の世界を、だれが見ても納得できてその上ほんとうに起こったことのようにリアルでドラマティックに描きだしていくアーサー・ラッカムの挿絵による夏の夜の夢はほんとうに私たちを夢ごこちにしてくれる一冊です。
[若月まり子 2007/08/17]
(注)ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)の「夏の夜の夢」(A MidsummerNight's Dream)は1590年代の作品といわれています。アーサー・ラッカムの挿絵付きの本書「真夏の夜の夢」は伊東杏里訳で1979年に新書館より刊行されました。
また、この「夏の夜の夢」は文庫判をはじめ数多のく翻訳が刊行されています。
なお、ミッドサマーとは夏至の頃のことであり、タイトルの訳を現在では「夏の夜の夢」とされるが一般的です。このためジオラマ作品は「夏の夜の夢」としました。
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