まだ寒さの残る2月の某日。アトリエを訪れると決して強すぎず、しかし豊かな花の香りに包まれて先生はそこに居らした。展示会でお会いする先生とは少し違って、恐らくは普段アトリエで制作をされる時と同じような装いで出迎えて下さったのだろう。飾り立てず、普段のままのアトリエを見て欲しいという先生のお気持ちが服装にも感じられて私はとても嬉しく思った。
またその一方でこれまでは展示会等でお話させて頂く位で、この様にゆっくりお話をうかがえる事はもちろんなかったので、あこがれの先生を前に緊張のあまり、ちゃんとした会話ができるだろうかとの不安もあった。だが、そんな心配は無用だったようだ。若月先生はその作品が放つム−ドそのままに暖かく優しい微笑と、柔和な物腰で迎えてくださり、私の緊張はあっという間にほぐれていったのだった。
さまざまなお話をうかがった後で、アトリエを案内して下さったのだが、制作工程の詳細ついては既に公式サイトの『クロニクル』のほうで素晴らしいレポートが寄稿されているので、是非そちらをご覧頂きたい。
店頭デビューを今か今かと待っている、ゆうに300体はあると思われるエルフィン達や、繊細に染め上げられた布、まだパーツでしかない手や足など、まさにアトリエでしか拝見することの出来ない光景は圧巻の一言であり、またとても興味深いものだった。1体を完成させるまでにはそれこそ気の遠くなる様な細かい作業を重ねていくのだが、その製作工程で最も印象的だったのは瞳を入れるときだった。
眉やほほ紅、口紅などのメイクは施されているものの、頭頂が外れて目は空洞の頭部を手に取り、「こうして瞳を入れるのですが…」と先生が慣れた手つきで眼孔に瞳をすっと合わせたその瞬間、まさしく命が吹き込まれたように私には感じられた。
実のところ瞳を合わせる作業は非常に微妙なもので、左右の位置や高さを合わせるためダイヤを用いた研磨機で少しずつ削り、次にミンクの毛を用いてまつげを1本1本手作業で植え付けていく為、時には眼が決まるまで丸1日かかることもあるらしい。
幸運にも次回の銀座松屋で出品される予定の制作途中の妖精を見せて頂くことができた。ほぼ完成された全身にビスチェタイプのドレスをまとっただけという段階でも十二分に綺麗であったが、先生が髪やフラワーを合わせていくだけで更に一段と美しくなっていく。「置く場所に迷わないサイズで新作を考えたんです」と、先生はおっしゃっていた。エルフィンフローリーを一回り大きくしたくらいのサイズだろうか。次回の展示会がますますもって、待ち遠しい。
さて、私は初めて先生にお会いする前は、こんな幻想的な妖精を創られる方はどこか浮世離れした、いわゆる〈夢見る夢子さん〉的な方を想像していた。
しかしこの度さまざまなお話を聞かせていただき、そうでないことをあらためて知った気がする。先生は幼い頃より絵を描くことや、本を読むこと、そして空想にふけることが大好きな子供だったそうで、現在でももちろんそれらを愛し、時には空想の世界を旅されるのだろう。だからこその、あの素晴らしい妖精たちである。私たちはふと、こんな素敵な妖精を創るのはさぞや大変な作業だろうなと思うわけだがそれは一時的にすぎず、先生の妖精たちを目にした時、現実を離れ、愛や夢、そして安らぎをもらい癒される。先生ご自身もまさにそういう感じの方だった。多くの芸術家が自分の創作活動を「生業」とした時から、他の人には解り得ない苦悩や困難な事柄も生じるはずである。
しかし先生はそれらを表に出さず「大変な時もあるんですよ」と微笑みながらお話になる。そんなしなやかな女性であった。
だがそうしたわずらわしい事柄を出来る限り取り払い、先生が創作活動に集中できるよう精神的にも環境的にも整え、支えられているのがアトリエの社長である。社長とも少々お話させていただいた中で、至極納得した言葉がある。
「若月はもともと人形を創ろうとして始めたわけじゃないのです。若月まり子の世界観を表現するための方法の一つとして人形があったということです」
そういえば以前先生の作品をよく扱われていたお店の方にこんな話を聞いたことがある。
「お客様に時折、『髪はこうで、瞳の色はこうで、洋服の色はこうで、デザインはこんな感じのお人形を創っていただけないかしら』と、おっしゃる方もいるのだけれど、そうした要望にお答えすることはとても難しいことなのです。なぜなら先生にいくら詳細にお伝えしたとしても作品は先生の心と頭の中にあるイメージを具体化したものだから、先生のイメージとお客様のご希望とされるイメージがどんどん混乱してきて手が動かなくなってしまうそうなんですよ」と。
もし仮に要望どおりの作品が出来上がったとして、もちろん先生のお手によるものだから素晴らしい作品になるに違いないけれど、それは先生が表現したかった世界とは必ずしも言えないのではないだろうか。そうなるとそれは先生の作品でありながらそうでないものになってしまう。
社長の言葉が表すように先生は数年前よりイラストも公開されており、近々七日物語をかわきりに文章という表現方法でさらに深い世界感を発表される予定である。そして私たちはこれまで想像することしか出来なかった妖精たちのバックグラウンドを具体的に知ることが出来るのだ。きっとこれからもさまざまな表現方法で私たちを夢の世界へと誘ってくださることだろう。
このような機会を下さった先生とアトリエの社長に心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
筆者紹介
邑(ゆう)
不思議の森の奥にある妖精王国[Young Moon ]の住人。ある時、森に迷い込み途方にくれていたところ、妖精たちに助けられ美しく心優しい女王の好意で王国に住むことを許された。妖精たちが分けてくれる、とっておきの花の蜜でお菓子を作り彼女たちとおしゃべりをする時間が大好きである。